僕は、世間の悲しいニュースに対してあんまり自分の意見を言わないようにしています。
軽い言葉で批判したり擁護したり、そんなの私の中のロックに反するからです。
今日、初めてブログで3.11の悲しいあの日の僕の思い出を書こうと思います。
今日だけは僕のロックに反してません。
あの日から12年、僕は初めて当時の映像を見ることができたからです。
当時、僕は東京にいて、小学6年生でした。
そして、当時は東京23区に住んでいたので、津波の被害は全くありませんでしたが、
震度5強の地震を生まれて初めて体験しました。
逃げ惑うクラスメイト、響き渡る悲鳴、
先生の焦っている顔、避難指示の校内放送
あまりの揺れに体育館の上から落ちてくるバトミントンの羽、
それが私に当たって体育館が崩れたと勘違いして必死に逃げた
全部鮮明に思い出せます。
今まで24年間生きてきたけど、
あ、死ぬかもって思ったことは人生で2回しかなくて。
1個目がこの東日本大震災で、
2個目は高校の時に自転車に轢かれて宙を舞ったとき。
いまでも地震がくるたびに、
あの日のことを思い出して冷や汗が止まらなくなってしまいます。
トラウマ。
完全に私はあの日のことが今もなおトラウマになっています。
私は本名に、"海"という漢字が入っております。
海とつくだけあって、私はサーフィンが好きでして、夏のライブの時に私が焼けてるのはオフを使ってこそこそ九十九里にサーフィンに行っているからなんです。
物心ついた時は私サーフィンの板の上に乗ってました。(?)
まあ、そんな大好きな海がですね。
この日を境に、人殺しの道具にもなり得ることを知りました。
海は綺麗だし、心地いいし、楽しいけど
その気になれば津波で人を殺せるんだと
当時の私は思った記憶があります。
悲しい、悲しいよ。
海がこんなに怖いものだったなんて当時の私は知りませんでした。
中学校のとき、隣のクラスに転校生が来ました。名前忘れちゃったんですが、彼女は岩手県から来たといっていて、地震と津波でなにもかもなくなったから親戚の住む東京に引っ越してきたんだと言ってました。
死んでしまった人も生きれた人も
日本国民全員、何かを失ったのが東日本大震災だったと思います。
個人的には、地震が来る1ヶ月前くらいに大好きだったおじいちゃんが死んで
人が死ぬことの怖さというか、人が死ぬってこう言うことかと小学生なりにわかってからすぐのこの地震だったので、
ものすごい音と共に揺れがきた時、
おじいちゃんの死んだ顔とか葬式とか全部が一瞬で頭に浮かんでしまい、生きなければと必死でした。
あの日のことは一生歌にしません。
多分、かけません。
曲にしようとも思いません。
私の中のロックに反するからです。
東日本大地震で亡くなった方、被害に遭われた方、家族を失った方、心に傷を負った方。
全ての人に、私の音楽が届いて
少しでも生きる希望になれたらと思います。
くだらない地震なんかに絶対負けねーぞ!
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