駅のトイレに無造作に置いてある妊娠検査薬
それが陽性で、なんかちょっと悲しくなった
いつものように電車に乗って
大好きな歌を歌いに行く
その電車に白い杖をついた目の見えない人が立っていた。吊り革を探してて、声をかけようとしたら女子大生っぽい派手な髪の毛をした女4人組が声をかけて助けてた
耳には爆音で50回転ズが流れていたはずなのに
声をかけなかった自分にめちゃくちゃ腹が立つ
パンクロックは目が見えないのなんか気にならないくらい優しいはずなのに
目が見えない人のことを助けようとしただけで、実際に何もしなかった私は、やらない善よりやる偽善と言い放っている2ちゃんねらーよりも醜い。
同級生に多分だけど知的障がいを持ってる子がいた。本人から聞いたわけじゃないし、ただなんとなくそうなんだろうって思っただけ。実際知らない。
その子は、クラスの男子に揶揄われるたびに唾を吐いて威嚇をしてて
私はそれを見るのがなんか好きだった
卒業しても彼は地元で私を見かけるたびに
まだバスケやってるの?っていきなり声をかけてきて、それを笑い話にしてる同級生もたくさんいた(多分彼は知ってる人を見かけるたびに急に話しかけてる。普通にびっくりする。)
バスケやってたのなんて何十年前なのに
いまだに覚えてるのすごいなって思った
と同時に、別に私の昔の友達も私がバスケやってたことは今でも覚えてるからすごくないって気がついた
私は多分知らぬ間に彼のことをちょっと見下していたのか?
覚えてられるのがすごいって、普通の人にはできるのに彼にはできないと決めつけていたのか?
最低だ。
私は彼と普通に会話をしていたし
特別扱いをしているつもりは毛頭なかった
ただちょっと優しくする回数が多いだけの
普通の友達。
でもそれって、本当はある意味差別になったりするんだろうか?
精神病の友達に優しくするのも
妊娠中の友達の荷物を持つのも
歳取ってるじーさんに席譲るのも
全部全部、普通に接しないのは差別になるのだろうか
いや、多分違う
今日50回転ズを聴きながら感じたあの罪悪感は差別じゃなく、私なりの平等だ
そして、目が見えないことも耳が聞こえないことも全てその人の個性だと私は思う。
でも、自分がもし目が見えなかったら、耳が聞こえなかったら。
個性だなんて割り切れないかもしれない
ちゃんと通常の状態で産まれなかった自分を憎むかもしれない
だから、あえて言わせてもらう
完全な平等なんてものはこの世に存在しない。
だからこそ、目が見える私が彼の平等を手伝うべきだったんだ
トイレに置いてあった陽性の妊娠検査薬
きっと望まれていない命
どこの誰かも知らないけど
なんか悲しくなってしまうのは、憐れみでも同情でもなく、パンクロックから教えてもらった平等な優しさを私が持ち合わせているからだ
私はこれからも偽善をめっちゃやる
自分の中の平等は多分間違ってないと思うのでね。
なな