私が1番覚えている古い記憶は、
味スタの託児所みたいなところで遊んでいたら
ヴェルディくんが遊びにきてくれて
ヴェルディくんが下を向いた時に人間の首が見えてしまい、ああ、着ぐるみは嘘っぱちなんや…と思ったことです。
バンドと関係ない話で申し訳ないのですが、
私が最近ハマっているサッカーチームについてお話しさせてください。
何にもバンドには関係ないので、普段の私が好きな人はあんまり読み進めても意味わからないかと思います。笑
しかし、このヴェルディというチームは
私が甲本ヒロトに出会う最初のきっかけであるので、ずっとずっと奥の方で繋がっているのかもしれません。
最初に、私が味スタに東京ヴェルディというサッカーチームを応援しに行ったのはいつだったでしょうか。
もう覚えてないくらい小さな頃から、両親に連れられて味スタを走り回っておりました。
緑の服を着て、ヴェルディの髪飾りをつけて、
ハーツのおじさんにお菓子をもらって、一緒にゴミ拾いをして、旗を配ってた。
何が何だかわからないけれど、負けた日は怒号が飛び、勝った日はみんな機嫌が良い。
それが私のヴェルディの印象でした。
頭の中に強く根付いているヴェルディという存在。私が持ってたぬいぐるみにつけた名前は、ウベタだったし、英才教育のおかげで今だに赤と青の配色は大嫌いだし、幼稚園の時からずっと選ぶものは緑でした。
ファン感では船越と手を繋いで、スローガン発表の幕を広げ、名波のゲーフラを作った
正直、父親が負けるたびに機嫌が悪くなっていく様子や、それを見て母親が怒っている様子は、あまり見ていて気持ちのいいものではなく。そして小学生の時にサッカーチームに入れられたけど馴染めず、結局サッカーが嫌いになってしまって、ヴェルディに連れて行かれることも無くなりました
そんな私が、なぜ大人になってもヴェルディにハマったか。
今年の3月か4月、父親からヴェルディの試合に久しぶりに行かないか?と声をかけられて何十年ぶりに味スタに行きました。
パピーの気まぐれで誘われて、誘われた日がツアーで地方のライブハウスにいる日だったから、なんかテンション高くて、いいよーって言いました。
超絶気まぐれ。
その日は確か負けた気がします
それなのに、私はその日からなぜかヴェルディの試合結果をチェックし、YouTubeで ハイライトを見返し、団体さんが上げてる選手チャントを聴き漁り、5月にvsジュビロ磐田を見に行きました。
そして、この日も勝てませんでした。
結果的に、私が初めて現地で勝利を見たのは
ハマってから約5ヶ月後。
もうやんなっちゃうよね。ずっと勝てないのに、バンドの練習の合間をぬって、コソコソとゴール裏に足を運んでおりました。
最終的にどうなったのか。
私はファンクラブに入り、エルゴラを読み漁り、サッカーのルールもよくわからないのにこのプレーがどうたらこうたらと毎日楽しくサッカー観戦を趣味にしています。
曲を作って、バンドのことを考えて、疲れたらヴェルディの試合を見て。
私の音楽しかなかった人生にできた、久しぶりの趣味のおかげで、なんか最近楽しいです
私は小さいながらに、ヴェルディが初めてj2に落ちた瞬間をこの目で見ており、現地で体感しております。泣き崩れてる父親、怒っているいつも優しいおじさんたち、その場に座り込んでいるお姉さん、喜んでいる柏レイソル。
あの日から、何十年経った今、
私がヴェルディに自分から通うようになった今、j1が見えてきました
ヴェルディの応援歌にあった曲を
酔っ払った父と母がカラオケで替え歌をして歌う。
日曜日よりの使者のメロディは
初めて覚えた甲本ヒロトの曲でした。
バンドマンとして生き、音楽だけの人生だった私の中に突如現れた東京ヴェルディというサッカーチーム。
決して、強くはない (ごめん)
ミスもする
点もあんまり取れない
それなのになぜか、目が離せない
彼らの行く末を、私はゴール裏から見ていたい
だから、私はナナという自分を脱ぎ捨てて
全身緑の格好で味スタへと向かいます
何が言いたいか分からなくなってしまったけど
どうしても今年J1に上がって欲しい。という思いを、バンドマンのくせに書き綴りました。
ほんとに音楽関係なくてごめんね。
いちヴェルディサポーターとして、
心の底から、J1復帰を祈っております。
そしてそして。
いつか私の作った歌がヴェルディ選手のチャントになることと、味スタのハーフタイムで演奏することを夢見ております。笑
俺ら東京!
私も頑張る、だからJ1連れてってなー!